う〜ん、モゾモゾ。
ベッドの中で何度か寝返りを打ちつつ、ふと目を覚まして「なんだか嫌な汗をかいているな」と感じる朝、そんなときはだいたい会社員時代の夢を見ている。
ビル群に立つあのオフィスへ向けて、ただひたすらに人混みをかき分け歩いて行く。
仕事が納期までに間に合いそうになく、各部署と調整をしながら右往左往する。
嫌味なクライアントのご機嫌を取りながらビジネススマイルを振りまかないといけない時間。
そんな会社で今も働いている自分。
そんな悪夢から目覚めた朝は決まってこう思う。
「あ〜あのとき辞めて正解だった」
仕事のために日々の時間を消費していた生活から抜け出して、今となっては何の後悔もない。
何度か似たような夢を見るけれど、毎回決まって同じように思う。
むしろ夢の中で当時あのままあの場所に居続けたもうひとつの未来を仮想体験することで、心底今この暮らしに感謝する。
もはやKAROUSHIは英語圏でもそれ以外の言語圏でも通用する言葉となってしまった。
日本では仕事を理由に命を絶ってしまう人が多いのに、なぜ他の国、今わたしが住んでいるハンガリーなどではそういった人が少ないのか。
自分の経験から見た2カ国間の違いなども含めて、改めて考えてみようと思う。
不思議なルールは文化慣習か【洗脳は最初が肝心】
当時勤務していた会社では、未だに理解できない多くのルールや決まりごとがあった。
特に謎なルール、慣習として次のようなものがある。
- ドレスコードが決められており、女性はなぜか靴下禁止(ストッキングはOK)
- トイレには「何分利用しているか」を計るシステムが導入され、おおよそ誰がトイレでサボっているかが監視される
- 効率良く仕事をこなしても定時ダッシュはNG、1時間ほどは時間を潰して退社すべし
今となってはどれもドン引きするようなルールや慣習だが、入社当時はそのルールを守ることに必死だった。「良い社員でいなきゃ」「注意されないようにしなきゃ」と。
ある程度の勤務歴になるまではストッキングに穴が空いても何度でも買い直していたし、トイレにこもっている人は「働いていないダメな人」だと思っていたし、定時で仕事が終わっても無駄に資料整理をして時間を潰してから帰宅していた。
今ではわかる。
何足も買い直していたストッキング代はお金を捨てていたようなもんだったし、トイレに導入されたシステム自体がバカげてるし、定時で帰ることの何が悪いんだ。
なぜ今はこんなにも冷静に考えることができるのに、あの当時はそれらに気がつくまでに時間を要してしまったのか。
一言でいうならば、新入社員の時代から度々参加させられていた研修という名の洗脳が効いていたからだろうと思う。
そこでは同期という仲間たちとともにさまざまなカリキュラムをこなす必要があった。
ときには共に協力して課題をこなしたり、ときにはロールプレイングでまだ見ぬクライアントとの交渉術を学んだり。
ただそんな仲間たちも配属後は基本ライバルになるのだから、入社後にずっと仲が良いメンバーというのは実は限られていたりする。
一方、仲間がいるからこそ頑張ってくることができたのもまた事実。しかしそれは「仲間も頑張っているから自分も頑張らなきゃ」という思想を強くし、自分だけが離脱する=自分だけが退職するといった決断を鈍らせていた部分もある。
特に上場企業などはおおよそこのような新入社員研修などが充実しているため、特に新卒で入社して最初に触れるタスクである新入社員研修のあれこれが、社員たちの会社に対する思想の基礎もつくっていく。
そのため「これがこの会社の文化なんだ」「この会社にいるなら絶対に守らなければいけないんだ」という文化慣習として思い込んでしまうのだ。
一方会社からすると、新入社員研修というのは社に利益をもたらすための多くの新しい兵隊を一気に作り上げることができる効率の良い仕組みなのだと思う。
日本における研修制度と海外での研修【他国での実情】
日本の新入社員研修をこちらの国でも実施している会社があったとしよう。
おそらくほとんどの人間がすぐに辞めるか会社自体が立ち行かなくなると予想する。
というのも、日本からすると海外であるこちらの国でも、もちろん会社によっては研修という制度があったりもする。
しかしそれはあくまでも業務における作業手順や詳細を勉強するための期間であり、会社の思想や文化を叩き込まれる場所や機会ではない。
- 会社の歴史を学んでそのミッションやバリューに沿って行動すること
- 先輩社員よりも早く出社すること
- 有給休暇の取得には根回しが必要だから気をつけて申請すること
- 勤務歴の長いあの人の言うことは聞いておくこと
といった業務に直接関係のないことを言うようなメンターはいない。
これから担当することになる業務についてのマニュアルやシステムツール、専門用語などを教えてはくれるものの「会社のために会社のルールに従って頑張って働こうね!」なんて言う人はレアキャラだろう。
むしろ「〇〇さえこなせれば早く帰れるから、家族との時間もしっかり確保できるぜ」なんてことを教えてくれたりする。
これだけ見ても、日本と他国での研修制度の内容はかなり違うことがわかると思う。
しかも日本の場合、新入社員研修だけでなく勤続年数や評価によって行われるフォローアップ研修や、マネジメント研修、コンプライアンス研修などなど、実に多くの研修が存在する。
自分たちのために手厚くやってくれているな〜と思うのももちろん悪いことではない。
しかしそのほとんどは、会社の経営サイドから見ると「いかに会社に利益をもたらしてくれる人材を育成するか」逆に「いかに会社に不利益をもたらさない人材を育成するか」が真の目的だと思っている。
もちろん中には受講しておけば他の企業で役立つようなこともあるため、一概にまったくの無駄というわけではない。
ただ、なぜ会社が費用をかけてでもその研修をやるのか?については、客観的に考えておくことをおすすめしたい。
いつかそれが、未来の自分が冷静に決断するための情報となるはずだから。
生きるために仕事をするか、仕事のために生きるか【バランス】
「自分は今のこの仕事がないと生きていけない」と答える人はどのくらいいるだろうか。
生きるための最低限のお金は必要だけど、たとえばある程度のお金を貯めたあと、数ヶ月仕事をしなくても貯蓄でやりくりすることだってできなくはない。
もし今の会社を辞めることになったって、また別の会社を探せばいい。今の時代フリーランスになることだって選択肢のひとつだ。
かつてはわたしもそう答えた人間のひとりだった。
- 今のこの会社を辞めても転職先でこれ以上いいところなんて見つからないと思う
- 今までこの会社で得てきた信頼や評価を失うことになる
- 他の会社に行ったらまたイチから人間関係を築かないといけない
- ある程度の経験は積んできたし、なんとか耐えれば定年退職までいけるんじゃないか
まるで当時の会社や仕事のために、定年までの残りの人生を捧げるかのよう。
でも、当時はわりと本気でそう思っていたんだから思い込みや洗脳ってすごい。
あの会社を辞めたらこれまで頑張ってきたことが無駄になると思っていたし、他の生き方なんてまったく想像もつかなかったし、何より同等の収入がなくなることがこわかった。
それでもわたしが決断できたのは、日本人ではない彼がくれた言葉。
「嫌なら辞めたらいいよ」
「他の会社なんてたくさんあるし、新しいことに挑戦することだってできる」
「ハンガリー人は嫌だと思ったらみんなすぐ辞めて新しい環境にいくよ」
正確にいうと、それまで何度も転職サイトを見たり実際に面接に行ったりしていた中でどうしても踏ん切りがつかなかったところ、これらの言葉が最後の一歩を踏み出させてくれたという感じだ。
ハンガリー人はこう思ったらしい。
「仕事のために生きるなんてまったく意味がわからない」
うん、だよね。
仕事とは?生きるためのひとつの手段【わたしの答え】
今では「仕事のために生きている」なんてことは考えもしなくなった。
無論、仕事が生きがいなんてことも思わない。
仕事はあくまでも生きるため、必要なものを買うためのお金を得る場所であり、せっかく働くなら楽しく働ける同僚やクライアントに時間を使いたいなと思うだけだ。
そりゃ仕事だから嫌なことはあるし、ときには失敗したな〜なんて自己嫌悪に陥ったりすることもある。
それでも、どこかで
「これを辞めてもまた何かはじめればいっか」
「近所のパン屋さんやカフェ、スーパーのスタッフとして働くっていう手もあるし」
「世界は広いし、わたしがお金を得ることができる仕事は山ほどあるだろう」
なんて思っている。
だから仕事のために自分を犠牲にすることも無くなったし、仕事について悩むことも少なくなった。
仕事が好きな人、命尽きるときまで今の仕事を全うしたいと思う人もそれはそれですごいなと思う。まったく否定する気持ちもない。
ただ当時のわたしみたいにいつもモヤモヤして悩みながら毎日を過ごしているのならば、実は今の環境を抜け出しても意外と平気だよということは伝えたい。
自分の身体と心が健康であれば、いつだってなんだってできるんだし、元気がないときや健康じゃないときは何もせずゆっくり過ごしたっていい。
「こうあるべき」という考えで自分自身が苦しむくらいなら、まぁなんとかなるかとゆるりと生きてみるのも悪くはない。
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