このブログをはじめてから、気がつけばかなりの年月が経ちました。
あの頃からわたし自身の気持ちや考え方、周りの環境もずいぶんと変わり、当時の地獄のような世界からは想像もつかなかった<モラハラ・DVがない他の惑星>にたどり着いたかのような感覚になることもあります。
「あんなこともあったなぁ」と思えるほどそんなに昔の出来事ではないはずだけど、こんなふうに感じるのは、一刻も早くその記憶を遠くに追いやりたかった本能がそうしているのかもしれません。もしくは、これが元来人間に備わっている環境適応能力なのかも?
忘れつつある当時の記憶を呼び起こしながら少しずつ自分と向き合って記してきたこのサイトに、今ではたくさんのかたが足を運んでくれるようになりました。
うれしいことのように感じる反面、「そうかぁ・・同じように悩んでいる人がこんなにもいるのか・・」とせつない気持ちになることもあります。
中には、わたしの記事を読んでメッセージを届けてくださるかたもいらっしゃいます。なるべく気持ちをお返ししたいと思うも、追いつかずなかなかご返信できない方もいらっしゃることが心苦しい。。
また、そのときには伝えきれなかったことなどもたくさんあります。
今回は、そんな方たちに向けてのアンサーメッセージとなるようなものをお届けできたらと思っています。
地獄の中では藁をも掴みたい【モラハラ・DV地獄】
この記事を読んでいる人の多くは、モラハラやDVなど、家族やパートナーとの関係に悩んでいる方がほとんどかと思います。
暴力と隣り合わせで命の危険にさらされているなどの緊急事態の場合もあれば、暴言や無視など真綿で首を絞められるかのようにジワジワとダメージを受けているといった場合もあるでしょう。
末期になっていればもはやそこが地獄だと感じることはなく「モラハラやDVがあるからこそ安心する」といった魔のループにハマっている場合もあります。
悩みの渦中にいるとき、人はどんなことでもいいから何か救いになるものはないかと探します。特にこのインターネットの発達した時代に生きる我々のような人間は、怪しくても嘘かもしれなくてもいいから何か助けとなるような、心落ち着く情報がないかとネットの荒波を進んでいきます。
わたし自身がそうでした。
仕事に向かう電車の中、ご飯中、トイレの中、寝るとき、四六時中ネットの情報を読み漁りました。
「暴言 彼氏 モラハラ」
「モラハラ 解決策」
「DV 別れるには」
同じようなワードを重ねては、何度も何度も検索をし、出てくる結果が似たような情報とわかっていても、それらを読んで安心したり不安になったりを繰り返していました。当時のスマホには、そんなサイトの多くがブックマークされていたっけ。
おそらくメンタル的にも末期に近かった頃、これまでの自分なら絶対に引っかからないであろう怪しいスピリチュアルなサイトに問い合わせたこともあります。
すんでのところで踏みとどまりましたが、危うく「モラハラパートナーでも別れたくないあなたに、前世を利用して解決します」という謳い文句を出していた謎のスピリチュアルカウンセラーに数万も落とすところでした。
と、自虐的に書いてはいますが、こういった行動自体はまったく悪いことだとは思いません。なぜならこれは、モラハラ・DVと立ち向かおうとしたほとんどの人が通ってしまう道だと思うから。
これまで「スピリチュアルなんてうさんくさい」「ネット商法で怪しいところにお金払うなんてありえない」と思っていても、モラハラやDVの渦中にいると、そこにすらも救いを求めるまで追い詰められるんです。
このくらいのお金を出してもいいから、どうにかしたい、現状を良くしたい
自分では気づかないうちに、そんな気持ちに行き着くまで疲弊します。
もちろん中にはしっかりとしたエビデンスを持ち、善良な気持ちで誰かを助けたいと思っているビジネス業者もあると思います。良心的なサイトや会社に救われた人もいるはずです。
でも、やっぱりビジネスはビジネス。
モラハラやDVなどで心弱っているところに漬け込む悪魔もたくさんいます。
今だから言えること。
- おかしなビジネスにハマってしまったとしても仕方ない
- 気がついたときにやめればいい
- 無くしたお金は勉強代だと思って諦める
- 変な輩に引っかかってしまった自分を責めることはしない
人間、追い詰められればとち狂ってしまう時期もあります。わたしだっていくら勉強代を支払ったことか。。
それでも、そんな自分を責めることだけはしないでください。
地獄から抜け出した先の世界では「そんなバカなこともやったな〜」と思える日が絶対きます。
どんなに追い詰められても、今以上の奈落の底に落ちてしまうかもしれないカルト宗教や犯罪集団などには近寄らないこと
どんなに否定されてもあなたは素晴らしい【私が保証します】
毎日繰り返される暴言。
殴られたり蹴られたりはしなくとも、言葉で罵られることの痛みは自分が思っている以上に大きいです。
モラハラをしてくる人というのは、あなたが嫌だと思うことをしっかりと把握して発言しています。
「ケンカの中で勢いに任せてうっかり言っちゃった」なんてかわいいものではありません。確信犯です。
これまでメッセージをいただいた方は、そのほとんどの人が暴言を受けていました。
「ばか」「ブス」「デブ」「ガイコツ」「気持ち悪い」「頭がおかしい」「嘘つき」「性格が悪い」
よくもまぁこれだけの暴言を他人に対して吐けること。
と、冷静に考えてみれば幼稚でレベルの低い攻撃ワードを並べることしかできないヤツなんだな(クソが!!)と思えるものの、元々好きだった相手、今でも想いを寄せる相手に言われたときの気持ちはきつい・・痛いほど分かります。
恥ずかしさと悔しさと悲しさで消えたくなりますよね。
そして、そういった人格否定の言葉を日々浴びせられると、人間というのは不思議なことに「自分は本当にそうなのかもしれない」と思い込んでしまうのです。
もちろん中には「クソが!!」と面と向かって倍返しにできるタイプもいますが、おそらくそういうタイプの人はモラハラ・DVパートナーとは一緒にいません。もしくは、一緒にいたとしても悩んでいません。
「相手が嫌がることを言うのはやめよう」
「これを言われたら相手がどんな気持ちになるかな」
と、優しく自分のこと以上に相手のことをおもんぱかれるような人だからこそ、モラハラ・DV被害にあうのだと思います。
そして、モラハラ・DVをする人というのはそこにつけ込みます。本能的にそういったタイプを狙ってくるのです。
大きく口を開けて笑う笑顔が素敵だった人も、日々「ブス」「気持ち悪い」と罵られれば、だんだん笑うことができなくなります。
おいしいものをたくさん食べることが好きだった人も、「デブ」「ブタ」と言われ続ければ、ご飯をおいしく食べることができなくなります。
普段は仕事でも評価され、周りの友だちからも好意を持ってもらえる素敵な人なのに、毎日毎日「性格悪い」「頭がおかしい」と言われたら、「もしかして本当の私は性格が悪いのかも・・」と思ってしまいます。
たとえどんなに抗おうとも、常に近くにいる相手から超ド級のネガティブワードを浴びせられると、まるで呪文のようにその言葉にとらわれてしまうのです。
でも、断言します。
誰がなんと言おうとあなたはすばらしい
モラハラ相手から100回ネガティブな言葉を言われても、わたしが1,000回ポジティブな言葉を伝えます。DV相手から1,000回クソみたいな暴言を吐かれても、わたしが10,000回あなたを素敵だと表明します。
メッセージを送ってくださる方は、みなさん文章から伝わってくる優しさと聡明さ、温かさを兼ね備えています。
お会いしたことはないけれど、テキストだけでそこまで伝わるということは、きっと生身のあなたはどれだけ素敵な方なのか、想像に難くありません。
わたし自身苦しみの中にいるとき、周りの人からのこういった言葉にたくさん救われました。
現在もモラハラやDVの渦中にいる人の中には、もしかしたら頼れる家族や友人が近くにいないという方もいるかもしれません。そんな人で、もし相手から浴びせられる日々の暴言で消えたいと思ってしまっていても、ここを思い出してみてください。
わたしが何万回でも「あなたはすばらしい」と伝えます。
人生を切り開くのは、己の決断のみである【笑える日はくる】
先にも記したように、メッセージをいただく方の多くはお世辞なく素敵な人ばかりです。
記事の作者であるわたしに対する温かい言葉、わかりやすく端的に説明される語彙力の高さ、少ない情報からでも読み取れるほど、どんなメッセージからも明るく優しい印象を感じるのです。
言葉というのは不思議なもので、テキストであってもその端々にお人柄を感じます。
苦しい状況下にも関わらず、そんなときでもメッセージを受け取る相手のことを考えられる人、そんな優しさのある方で素敵じゃない人なんていません。
そんな明るく優しい人が、今この瞬間もモラハラやDVの中で苦しんでいる。わたしが経験したことよりはるかに大変な状況にいる方もいらっしゃると思います。
そんなみなさんへわたしなりに伝えられることがあるとするならば、それは
人生を切り開くのは、己の決断のみである
ということ。
そんなことはいっても、なかなか決められないことのほうが多いですよね。わたしも何も決めることができないまま何日も何ヶ月も同じところをグルグルしていました。
それでも、何もしないと決めるか、今は決断しないと決めるか、新しい道を選ぶのか、朝起きて夜寝て一日が過ぎる頃には、何かしら自分で決めているんです。
決断は大きなことだけではありません。
「今は何も決めないと決めた」「今は嫌だと伝えると決めた」
そういったことも大切な決断のひとつです。
そんな小さな決断の積み重ねが、この先大きな決断をするときの自分の支えになってくれるはずです。
決められないことは悪ではない。決めないということを決めたんです。
そして、誰に言われるでもなく自分で出した決断、それがこの先絶対にあなた自身の力になります。
誰かの救いやサポートがあるならば、もちろんありがたく頂戴しましょう。
その知恵や知識、気持ちや力を支えに、最後は自分で一歩踏み出せますように。
決めた道はイバラの道かもしれません。
それでも、その先には必ずあなたが再び心から笑って過ごせる日があります。
みなさんからいただくメッセージへのわたしなりの気持ちと感謝を込めて。
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