大好きな語学、海外の文化を学びたい!と大学に入ったものの、気がつけばなぜかIT企業でシステムエンジニアとして働く日々。
「皆に続け!遅れを取るな!」という新卒採用に違和感など感じることもなく、当たり前の人生コースとして突き進んだ就活を勝ち抜き、わたしは「よし!これで立派な社会人だ!」と胸を張って新入社員研修に挑んでいました。
もちろん大学にいる周りの友だちも同じように人生の駒を進めていたし、そこから外れることなんて考えもしませんでした。
時は経ち、今。
あれほど既定路線を進むことに安心感を感じていたわたしは、マジョリティな生活からはほど遠い、あの頃の自分が想像もしていなかったような人生を歩んでいます。
きっと今この瞬間も、あの頃のわたしと同じように死に物狂いで就活を戦い、勝ち取った(と思った)素敵な会社員としての生き方にどうしようもない不安と焦りを感じている人もいるでしょう。
わたしの体験談が皆さんの時代に合ったもの、期待したものとは違うかもしれません。
ただ「こんな人生もあるのか」「こんな生き方があってもいいんだ」と、誰かの心が一瞬でも軽くなればいいなぁという想いで、ここから先を進めたいと思います。
【就活戦争】面接官に良く見られる就活メイク!(え
就活市場や就職状況などは年々変わっていると思います。あくまでもわたしの当時はこんなふうだったよという前提で進めさせてください。
大学3年生、キャンパスの中にある「進路相談」「新卒採用を勝ち抜くためのセミナー」といった張り紙が目に留まりはじめた頃、わたしたちは新卒採用という負けられない戦いへ足を踏み入れました。
学生たちは「何から始めればいいの!?と」いう状態でも、一応大学というところは丁寧に「こっちへ行けばいいんだよ〜」「これをやればいんだよ〜」とレールを敷いてくれております。
まずは自己分析という「自分って本当はどんなやつ?」を知ることから始まります。
自分の強みや弱み、特技や苦手なことを突き詰め、自分にはどのような企業が合っているかをリサーチ。
当時は「好きなことを仕事に」なんてキャッチフレーズが流行っていた頃でもなく、まずは自分に合った企業を探すことが重要視されていたように感じます。
自分が気になる企業を数十社ほどピックアップし、それぞれの企業調査を重ね、その中で自分の行きたい会社(いわゆる本命度)の優先順位を決めていきます。
企業調査の段階では、合同説明会という大型イベントも活用必須。
多くの企業が集まるブースでは企業側から学生たちへのプレゼンが行われたり、無料サンプルという謎の企業マスコットが印刷された文房具などをばらまき、企業が学生を呼び込んでいるところも多いもの。
そんな「企業を知る」段階を経たのち、気に入った数十社に対するエントリーシートという名の足切り試験申込書を書きまくり、ここで無事足切り合格となった企業に対してやっと赴くことができるのです。
言わずもがなですが、合同説明会や企業ごとに開催される説明会では絶対に自社のことを悪くは言いません。そりゃそうだ。
就職希望者の母数を増やすため、説明会時の学生はお客様です
漏れなくわたしも各企業からの素敵なプレゼンに心を打たれ、「絶対にこの会社に入りたい!」「この会社だったら自分の思い描く仕事ができそう」なんて甘い幻想を抱いていたひとりです。
合同説明会の会場ではなぜか「面接官に好印象を持たれるメイク術」なんて講座もあったり。
採用する側も経験した今思えば「なんでメイクの良し悪しで面接官に判断されなきゃいけないんだ」とか思いますが、当時のわたしはまだまだ何も知らない子どもでした。
【謎】リクルートスーツと圧迫面接の不思議
エントリーシート合格のその後、SPI試験だったりグループ面接だったりを駆け抜けていくわけですが、ここで重要になってくるのが服装です。
日本の新卒採用、就活のスタンダード装備といえば、そう、リクルートスーツです。
真っ黒のスーツに真っ白のシャツ、真っ黒のリクルートバッグに真っ黒のパンプス。しかもそれがひとりではなく量産される現実。
海外の人が初めて見て驚くことのTOP5に入るこの現象も、当時のわたしは何の疑問も持たず、むしろ「スーツのシャツって真っ白じゃないとダメかな。。ブルーだと印象悪いかな。。」「ヒール5cmより3cmのほうがいいかな」などと悩んでいました。
どっちでもいいわ!
さてさて面接においても、いまだに謎の文化がありました。それが圧迫面接。
今のご時世、コンプライアンスの問題などから古の文化と化しているかもしれませんが、当時の就活に圧迫面接はつきものでした。
圧迫面接とは、面接で受験者に対して、わざと意地悪な、もしくは威圧的な内容の質問や反論をし、これに対する応答・対応を評価する面接のことをいう。「パワハラ面接」とも呼ばれる。
引用:wikipedia
わたしが経験した圧迫面接は次のようなもの。
- 突然机を叩く
- 「で?」「なんで?」と威圧的な態度を取られる
- 「君には無理だよ」と否定的な言葉をぶつけられる
- 目の前で履歴書を破られる
圧迫面接をした企業は合格通知がきてももちろん辞退しましたが、いまだに思うところがあります。
圧迫面接を実施する企業側の理由はさておき、少なくとも学生側はかなり嫌な気持ちになっても、それを我慢して押しころして一生懸命笑顔を貼り付けて取り繕うわけです。
彼らは我慢強く、臨機応変な対応もできるコミュニケーション能力の高い人が多いのだと思います。
それは同時に、会社からしたら一定ラインまでは我慢して臨機応変に立ち回ってくれる従順な子でもあるんです。会社にとっては絶対にほしい使いやすい駒となります。
個人的な意見ですが、圧迫面接をやってくる会社には入らないことをおすすめします。
ちなみに当時わたしの履歴書を破った会社は数年前になくなりました。
【会社員時代】良き思い出と胸くそな思い出
社会人となってからも、長きに渡りさまざまなことを経験しました。
せっかくの機会なので、入社当初から転職を決意するまでの思い出をさかのぼってみるとしましょう
研修時代
新卒採用の荒波を乗り越え、無事一部上場企業への入社を果たしたわたしは新入社員研修所という名の戦闘員養成所に入ります。
もちろん仲間との楽しい思い出もたくさんありますが、今思えば「なるほど」というトリック、そして今ならパワハラで訴えられるんじゃないか?という悪しき文化の数々も横行していました。
新入社員時代のことなのでもう随分前になりますが、思いつく限り書き記してみたいと思います。
- 毎日実施される3分間スピーチ
→人前で緊張せず話すことができるようになったので、メリットはあり
(一発芸大会で鍛えられたわたしにとっては苦痛なく遂行できたもの)
https://tabeiki.com/#google_vignette
- 研修中に寝ている学生がいたら講師が机を蹴り上げる
→今ではパワハラ確定でしょう - ビジネスマンになるためのロールプレイング
→ビジネス基礎マナーを学べたことはメリットだが、なんせ寸劇が恥ずかしい - 謎のレクリエーション
→表向き「同期の絆を強めるため」裏目的「仲間意識を持たせて辞めさせないため」 - 豪華なホテルでの食事付き研修
→研修生もまだまだお客様。使える戦闘員になるためのエサ - 我が社は素晴らしいというセミナー
→そんな会社に入った君たちはやはり素晴らしいという洗脳
研修時代だけを見ても、一部でブラックと言われる所以がわかりますね。
ということで、この研修を超えて残った者は晴れて立派な戦闘員として各地へ配属されるのです。
がむしゃらに働いた新人時代〜中堅時代
一応の希望部署へ配属されて以降、この期間は唯一「ここで働いてみてよかったな」と思えた時間が多かったように思います。
幸いなことに新人時代から周りの人に可愛がってもらえ、順調に仕事も覚えていきました。
もちろん取引先とのトラブルやシステムの炎上などさまざまなことはありましたが、周りの人たちのおかげで今となってはどれも良い思い出です。
絶対に止まってはいけないシステムが止まって徹夜で先輩と復旧作業をしたことも、ガラの悪い取引先の担当者に怒鳴られ上司と一緒に深夜車を飛ばして謝りにいったことも、数社合同での大型システム導入に駆り出され土日問わずサーバールームで缶詰になったことも、まぁ終わってみれば笑い話になりました。
ここで培った知識や経験があるからこそ、そのあとの仕事にも活かされているなぁと感じることも多いです。
このときに出会った人たちとは今も数人とお付き合いがあり、仲良くさせてもらっていることも人生の糧ですね。
ただ、役職が上がって組織の中での将来が見え始めた頃から、わたしの中での違和感がむくむくと膨らんできました。
最後まで納得できなかった退職前
人事異動、部署移動は、一般企業なら多くの人が関わるイベントです。
当時のわたしもひととおりそれらを経験し、新しい環境へ赴くことになったのですが、それが人生の大きな分岐点になりました。
新しい環境では会社の中核を担うこともあり、組織の経営陣、トップ層と関わることも増えたのですが、何かが引っかかるんです。
毎日数回開催される会議ではほとんど何も決まらない。
翌日実施される会議も前回とほとんど同じ内容。
新しい企画案を出すにも資料作成だけで数日を使わされる。
ネガティブな発言ばかりが飛び交う社内。
この先もずっとここで働いていくとして、行き着く先はここなのか
そんなある日、毎日効率化を目指し、人一倍の仕事をこなして定時で帰っていたわたしに上司からの呼び出しがかかりました。
彼が放った言葉:
「毎日定時に帰るのはよくない。周りでがんばっている仲間に悪いとは思わないか?」
「少なくとも定時後1時間は残ってほしい」
今思い出しても何を言っているかわかりません。
「それはおかしい」「仕事がなくても残っていろということですか?」「納得できない」と、どんなに意義を唱えても、彼は最後までわたしの意見に耳を傾けてはくれませんでした。
最初に感じた違和感が次第に大きくなっていくのをハッキリと感じました。
世界を揺るがした大きな転換期、コロナが出てきたのはそんな絶望にも近い感情が生まれはじめた頃でした。
非常事態宣言により各企業もリモートワークに切り替えることが多かったあのとき、当時の会社も在宅勤務を推奨しはじめました。
【IT企業が実践するリモートワーク】と聞くと、さぞ立派な施策だと思うでしょう。
しかし、実情はまったく違っていました。
- 出勤者から在宅勤務をするメンバーへの妬み
- 上記や出勤者から在宅勤務者に対する監視
- 在宅勤務者より出勤者のほうが仕事をしているという評価形態
最終的にはこれらがトリガーとなり、わたしは会社を辞めることを決意しました。
(もちろん長年勤めた会社を辞めるには、わたしの人生観に対する変化も関わっていますが、それはまたどこかの機会で)
会社を辞めてみて【静かな退職】
退職については淡々と処理を進めました。
揉めて面倒なことにもなりたくなかったので、ことを荒立てず、賢く静かに立つ鳥跡を濁さず。
「今までありがとうございました!」なんて手土産を配ることもせず、さっさと社員証を返し、会社のエントランスを出たときの気持ちは今でも忘れません。
並木道の緑が鮮やかで、空は高く晴れ晴れとしていました。
「あ〜、これで自由だ」
これからは就業時間に間に合うように満員電車に乗って会社に行くこともしなくていいし、日中お昼寝だってできるし、暑苦しいストッキングも履かなくていい!
会社を辞めてよかったと心から思いました。
その後、ありがたいことに良き人、良き情報、良き環境に恵まれ、気楽に毎日そこそこ楽しく生きています。
「会社を辞めなければよかった」と思ったことも一度もありません。
辞めるまでは色々と悩みもしましたが、抜け出してみれば意外と簡単でした。
ひとつの企業に居続けなくても幸せな道はあるし、嫌なことをやらない選択をすることで幸せな時間は増える。
たしかに一歩踏み出すときは勇気がいるかもしれないけど、一歩出てみたら「なんだ、大したことないな」と思えるはずです。
天気の良い日、自由な服装で何にも縛られず、時間にも追われず、ただプラプラと歩いているだけで、企業戦闘員として過ごしていたときの何倍も幸せを感じるもんだなぁということに気がつきました。
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