日々のこと

【昔ばなし】家族という名の養成所【日々徒然】

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ハッと目が覚めた、朝方5時。

父が夢に出てきた。

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わたしは父と母とディズニーランドのようなそうでもないようなアミューズメントパークに行っていた。

このときの夢はFPS。いわゆる一人称視点。

自分が何歳でいつの時代なのかはわからない。

途中別行動になったのか、わたしはキョロキョロと両親の姿を探す。

歩き回っていると、よくある地方の遊園地で大型のアトラクションもあるけど一部にゲーセンも備えてます!みたいな場所で父を発見した。

「ねぇ、お母さん探そう」と声を掛けながら、父と2人でエスカレーターに乗った。

わたしは父が乗ったエスカレーターの2段ほど後ろから、ずっと父の背中を見ていた。

「変な夢。」

目が覚めて思わずつぶやいた。

父がいなくなってからは、たまにこういうパラレルワールドに入り込んだような不思議な夢を見る。

今ココとは違う世界線のわたしに意識が移ったような、そんな夢。

父の夢を見たからか、ふと子供の頃の想い出がよみがえってきた。

思い返せば、うちって変な家庭だったなぁ。

ある年のクリスマス【サンタクロースは朝帰り】

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父は仕事人間だったので、あまり一緒に夕飯を食べたり遊びに行ったりした記憶がない。

だいたいいつも母と弟と3人での生活だったように思う。

学校から帰ってくる日中に父が家にいたことなんて皆無だし、学校の行事に参加するのもいつも母だった。

とある年のクリスマスイブは、母が一生懸命に部屋の飾り付けをし、時間をかけて作ったであろうチキンやケーキが並ぶ食卓に父の姿はなかった。

わたしと弟は三角帽子をかぶり、早くご馳走にありつきたくてソワソワしていたと思う。

「おとうさんまだかな〜」

無邪気に話す幼いわたしたちは、父の帰りを今か今かと待っていた。

父の分の食器も用意してあったから、きっと父も早めに帰ってきて夕飯を一緒に食べる予定だったのだろうと思う。

長い時間がまんできないちびっ子たちがしびれを切らしてきた。

「もう食べていい?」「もう少し待っててね」

1〜2時間が経過。

「もういいでしょ?」「。。もう食べちゃおっか」

結局、母とわたしと弟の3人でクラッカーを鳴らした気がする。

メリークリスマス。

父のいないクリスマスパーティーは、それから子どもたちにとっても当たり前になった。

スマホもLINEもないあの頃、父がどうやって母に「ごめん、帰りが遅くなる」と伝えたかは不明だが、きっと母の心は穏やかではなかったんじゃないか。(連絡なしだったのかもしれない)

夜が明けてクリスマスになった朝、わたしの枕元にはサンタさんからのプレゼントがあった。

パジャマのままプレゼントを抱えて「サンタさんきたよ!」とリビングに入ったら、父は普通にそこにいた。

「お!サンタさんきたのか!よかったな〜」

わたしの元にきてくれたサンタさんが、男の人だったのか女の人だったのかは今でも謎だ。

おもしろい話と怖い話

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いつもはレアキャラの父でも、わたしが幼稚園、小学校低学年の頃までは、たま〜に一緒に寝てくれたことは覚えている。

父と寝るときの楽しみは、お話。

話といっても、母のように絵本を読んでくれるわけではない。

すべて父の創作だ。

布団に潜り込んだわたしたちには、まずはじめに選択肢が与えられる。

「おもしろい話と怖い話、どっちがいい?」

「それか、はじめはおもしろくて最後に怖い話と、最初は怖くて最後におもしろい話とどっちがいい?」

父から与えられた選択肢を前に、幼いわたしは頭の中で色々なことを考える。

「怖い話を聞くと怖くてトイレに行けなくなるからおもしろい話がいいかな」

「でも怖い話も聞いてみたいな」

「この前は怖い話だったから、今日はおもしろい話にしようかな」

ぐるんぐるん色々なパターンを考えてわたしが答えを出す前に、直感タイプの弟は即答で「おもしろいけどちょっとこわいはなしー!」とか「こわいけどこわくないはなしー!」だとか自由すぎる発言をする。

平和主義だったわたしは、「じゃあ今日はそれでいいよ。でも次はわたしの好きな話にしてね。」という交渉をしつつ、あるときは弟にゆずり、しかし自分優位というわがままさも持ち合わせていたので、あるときは「この前はゆずったから今日はわたしの日!」と自分の意見もとおしていた。

ちなみに父の創作話は、残念ながら詳細までは覚えていない。

ラジウムを発見したキュリー夫人が実は「きゅうり夫人」だったり、井戸の中で「いちまーい、にまーい」とお皿を数えていたお岩さんの最後のお皿が見つからず、世界の果てまで旅に出ることになったり。

聞き手側のわたしたちはいつも大声をあげて笑っていたから、割と大ウケの話が多かったように思う。

いや、今思い返すとめっちゃ詳細が知りたいな、この話。

真剣勝負のたたかい【我が家のコロッセオ】

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父の仕事の都合で、我が家は転勤族だった。

その転勤先のひとつが新潟。わたしが小学校2年生の頃。

庭がついていて、玄関を開けると大きな吹き抜けのある二階建ての家は、子どものわたしにとってはまるで宮殿みたいだった。

そんな新潟に引っ越してから、我が家にはいくつかの目玉イベントができた。

もちろん、誕生日やクリスマス、父の日やバレンタインなどではない。

たたかいごっこと一発芸大会だ。

気になる点はいくつかあるかもしれないが、まずはじめにたたかいごっこから説明するとしよう。

開催場所は城宮殿内部の和室。

そこは10畳ほどの畳部屋が二間続いており、間のふすまを開ければそれはそれは大きなたたかいのリングとなる。

もちろん全員参加の勝ち抜き戦。安全を期して武器はなし。体ひとつで相手と対峙する、立派なたたかいだ。

リールは簡単で、相手に「まいった」と言わせれば勝ち。

いつも初戦は、頭脳派のわたしvsパワー系の弟。

怪我防止のため靴下を脱いで裸足になり、いざ勝負。

距離を取りつつ作戦を考えながら仕掛けるわたしに対し、猪突猛進タイプの弟は思いっきり殴りかかってくる。

しかし簡単にダメージを受けるわたしではない。

降りかかる両手をなんとか阻止し、ふっと力を緩めて相手の力を利用する。弟がよろめいたところへすかさず脇へのくすぐり攻撃!

弟にはだいたいこれで勝てる。

勝ち抜き戦のため続いての対戦は父vsわたしとなるのだが、戦力の関係上、わたしには弟を味方につけ、ふたりで1チームとなって挑むことが許されていた。

父vsわたしと弟のたたかい。

数回にわたる戦歴から、わたしと弟は毎回作戦を練ることにしていた。お互いの耳元に手を当て、父には聞こえないようにコソコソと作戦を伝え合う。

「わたしが気をそらしてるうちに足をねらって!」

「わかった!ぼくがあしをつかんではなさない!」

我ながら良い作戦だ、と思ったときでもたいていは負ける。

むしろ2人かがりでも父には勝てたことがない。

最後は2人とも抱えられて押し入れの中に放り込まれ、暗くて怖くなった頃合いが降参のしどきだ。

ファイナルマッチ。

父vs母。

わたしと弟は、少し離れたところで勝負を見守る。大人のたたかいだろうが、勝負は勝負だ。水を差すような行為はご法度。

母はファイティングポーズを取り、シュッシュっとパンチを繰り出す。

勝負の間、父と母との間でどんな言葉が投げ合われていたかは覚えていない。わたしたちは勝負に夢中で、父と母がどんなことを話しているかは気にしていなかったのかもしれない。

そんなとき、母の一撃が父のお腹にヒットした。痛恨の一撃だ。父もよほど痛かったと見える。

母のおしりに反撃のひと蹴り!

その瞬間、母が「っっいったあぁぁーーーー!」と声を上げた。

さらなる母の攻撃。

しかし、何やら顔がマジだ。たまに見せる本気のやつだ。

そこから先は試合中断となり、「たたかいごっこ」ではなくなってしまったと記憶している。

真剣勝負の大会ここにあり【IPPON】

comedy

つづいて一発芸大会について話すとしよう。

この大会においてはルール無用。

モノを使ってモノボケしても良し。おもしろい話で漫談しても良し。体を使った芸を披露しても良しのなんでもあり。

審査員である自分以外を笑わせればOKだ。

場所は宮殿内部のリビング。

ちなみに開催日は事前に知らされない。当日決定、当日開催のゲリラ大会。

父の「今日は一発芸大会やりまーす」という号令が合図となる。

まずは披露する順番を決める。

ジャンケンだったり父の勝手な意見だったり、決定方法はさまざま。

次に、出場者それぞれに一定時間が与えられる。

この時間で各自ネタを考えるのだ。

もちろん適当に考えたりシラけるようなことはやらない。全員手は抜かない。

子どもだろうが頭をフル回転し、家にあるモノが使えないか探し回ったり、あの本はネタにならないか?とネタ元を探したりする。

いよいよ大会スタート。

テレビの前のステージとその向かいには観客席が用意され、トップバッターの人から一発芸を披露する。

たいていトップバッターは父か母。

父と母の出番もそれなりに笑った気はするが、なぜか彼らの一発芸はひとつも内容を覚えていない。

おそらくわたしは自分の出番のことで気が気ではなかったのだと思う。

いよいよわたしの番だ。

モノボケは思いつかなかった。面白いギャグもできなかった。。

ウケることを考えても考えてもうまいことまとまらず、ステージに立った瞬間にひと呼吸おき、意を決して謎の動きを披露した。

以前テレビで見たときに父が笑っていた芸人の動きと、最近母と買い物に行ったときに見かけた不思議な着ぐるみの動きをアレンジしたものだ。

合わせて「フンッ」と変な声も出す。

これに全員爆笑。

小学2年生にして、芸を披露して観客が笑ってくれることの喜びを知り、人前で一発芸を披露するという度胸も手に入れた。

ちなみにトリの弟はといえば、たいていお尻を出して「ケツだけせいじん〜」とブリブリ言いながら最後に「ぞ〜うさん」と言いつつ全裸になって踊るという、いつものパクリ持ちネタを披露する。

もちろんこれも全員大ウケだ。

いつも主催者に都合が良い

思えば、我が家には他にもいろいろな大会があった。

マッサージ大会なんかはかなりの頻度で開催された。

参加者はわたしと弟。のみだ。

ひとりずつ己のマッサージの腕を父に披露する。

父の「お、これはポイントが高いな〜」というヨイショの声に気を良くし、こうしたらもっとポイントがもらえるかも!と試行錯誤しながら新たな技を生み出してはどんどん実践していく。

弟に負けじとわたしも頑張り、わたしに負けじと弟も頑張る。

結果、両者引き分けとなることが多い。

わたしたちはそれぞれの技にフィードバックをもらいつつ、両者健闘を讃え、父は満足して大会終了だ。

そういえば、白髪抜き大会なんてものも開催されていたっけ。

父の白髪を多く見つけて抜いた方が勝ち。

子どもの頃はどれも真剣に取り組んでいた大会だったが、今思えばかなり主催者の都合に配慮した大会になっている気がする。

あの頃純粋に本気で取り組んだ大会も、大人になってしまうと嫌な部分が見えてしまうのは少し悲しい気もする。

そういえば、最近わたしの頭にもチラチラと白いものが数本見えてきたな。

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