日々のこと

今ココ、わたしはハンガリーで暮らす【日々徒然】

誰かに聞かれたわけでもないけど、ふと今をそのまま記しておこうと思い立った。

「こんなことを伝えたい」「こんな構成にしよう」

いつもはそんなこともうつらうつら考えてはいるけれど、なんにも気にせず書いてみたいなぁと思った日本時間の明け方3時。

まぁわたしの時間では夜8時頃なんですけどね。

あの頃を思い出して

time

このブログを立ち上げた当時、わたしは先の見えない暗闇の中からほんの少し足を踏み出した頃だった。

といっても、目の前に広がる世界もどんよりしてるし、何をどうしたらいいかもわからない。選んだ道が正しかったのかも自信がない。

ただ、自分の経験が世界のどこかにいる誰かの役に立てばいいなと思って、とにかくはじめてみた。

当時は「自分が経験したこと」をもとに、どうやって乗り越えてきたか、どんなことに悩んできたかをひたすらまとめていったような気がする。

モラハラ、DV、離婚。

今となっては特別めずらしいことでもない人生のトピックだと思うけど、あの頃のわたしにとっては「自分だけが経験した珍しく大変なできごと」だったように感じてました。

職場の人やちょっと仲が良い友達だとか、あんまり深くないところにいる人たちには話せないような、自分の人生の汚点、くらいに思ってたのかもしれない。

職場や出先では常に明るく元気なわたし!でやってたしな。(これは現在進行形かも)

今振り返ってみると、もしかしたら「世界のどこかにいる誰か」に向けて書いてたんじゃなかったのかも。

なんとかして、自分の消化しきれないモヤモヤをどこかに吐き出したかっただけなのかもしれない。

そして、ときどきわたし自身が読者のひとりとなって自ら書き記した文章を読み直しては、自分の中で少しずつ昇華させていったんだと思う。

数年の月日が経ちました

time_fast

さてさて、あの頃から数年の月日が経過した。

コロナという世界的なできことはもちろん、各国の情勢なんかも大きく変化した。

あの頃に比べてスマホへの依存度は増し、テレビは電源をつけない日々が長くなって、YouTubeを娯楽とする毎日。当時に比べると、情報のインプットの仕方もアウトプットの仕方も随分変わったなぁ。

わたしはといえば、長年働き続けた会社で異動による引越しや東京での満員電車を経験。

ひしめくビル群の中をすり抜けて、スマホと小さなお財布を片手におしゃれランチに行くことも達成。

遅ればせながらはじめてのひとり暮らしも経て、その後まさかのハンガリー人と暮らしはじめた。

というのも、もはや数年前のお話。

今では長年勤めた会社をやめてフリーランスになり、ハンガリーで暮らしている。

あの頃の記憶は奥底に

memories

地獄のような毎日から抜け出して、もがきながらも幸せを求めて歩き続けた結果、ヨーロッパのハンガリーという日本人にとってはあまり馴染みのない国にまで来てしまった。

このブログもはじめの頃は「毎日更新!」と意気込んでいたものの、更新が2-3日おきとなり、1ヶ月おきとなり、さらには1年以上も置き去りに。。

もちろん一生懸命立ち上げたブログだけあって、いつも頭の片隅にはあったんです。いや、まぁ完璧に忘れ去っていたこともあるけど、ふとした瞬間に思い出すみたいな、ね。

思い出したタイミングで今日こそは書こう!なんて編集ページを開いては、ちょっと書き出して下書きに保存して一旦休憩。そしてそのまま下書きが何件も溜まっていってしまった。

仕事の合間に昔自分で書いた記事を読んでは「あーこんなふうに悩んでたなぁ」「お?意外とわたしって文才あったんじゃない?」などと自分勝手にあれこれ思いながら読みふける。

まるで片付け途中で目についたマンガに手をかけてしまったときの感覚。目的のTO DOが終わらない。

だってさ、あれから5年以上も経ってるんだもの。

もう記憶がカサカサなのよ。。

あの頃の新鮮な気持ち、当時感じたドロドロや怒りを表現したい想いなんかは既に薄れてしまっていた。

それに正直にいうとね、あまり思い出したくなくなってたんです。

今と昔

happy_flowers

まわりの人に支えられて、なんとか自分でもがんばってたどり着いた現在、わたしは幸せです。

そんな毎日の中で、あんなクソみたいな日々のことを思い出す必要があるだろうか。

いや、ない!

むしろ思い出そうと思っても細かく思い出せないくらいになってるわ。

もちろんトライはしてみた。

今この瞬間も、あのときのわたしと同じように悩んでいる人はたくさんいるはず。だからハッピーで楽しい内容をココに書くことは、このブログではあまりよくないんじゃないか。

苦しみのどん底にいて、どうにかして抜け出したい、助けてほしいと願った昔のわたしと同じように感じている、そんな人たちに届けばいいなと、なんとかがんばってあの頃のことを思い出しながら言葉をひねり出す。

感じた苦しさはどれほどのものだったか、がむしゃらに駆け抜けたときはどんなものに助けを求めたのか。何を感じて何にすがり、何を支えに生きていたのか。

でも、どうやってもあのときに感じた生々しい気持ちを伝えることは難しくて、あの頃どうやって乗り越えたかをうまく言葉にすることはできない。

うん、だめだ。

今ココから

ということで、このブログを立ち上げた頃のような気持ちでこのまま書き続けることはできなさそうです。

さいわいにも時間とともにトラウマもなくなり、今となっては当時のできごとを思い出しても既に怒りや悲しさなんて感情すら湧いてこない状況。

完全なる無。

さて、こんなわたしがここに書き続けることの意味とは。。??

。。。

なんて深いことを考える真面目なわたしも、年月とともにどこかへ行ってしまったようだ。あんなに悩みに悩んで、もはや悩むことが好きで悩んでいるのかというくらい悩みの渦に飲み込まれていたわたしが、こうも何も考えずに生きていられるとは。

ということは、いろいろな経験があって無意識のうちにわたし自身が変わっていったのかもしれない。

もしそうだとするなら、今だからこそ伝わる何かがあったりするのかも。

これまでは「今の自分」について書き記すことがほとんどなかったけれど、それも悪くないかもしれないと思い始めた次第です。

ここからは、わたしが書きたいことを書いていこうと思います。

あの頃のわたしに向けた言葉でもいいし、今のわたしが感じることをそのまま書くのもいいな。今更またなんで文章を書くかって、意外とあとから自分で書いたものを読み返すのが楽しかったりするし。

ヨーロッパの国で煌びやかな生活をしているわけでもなく、なんの映えもない日常だけど、そんな日々をつらつら書くのも悪くはなさそうよね。今感じているわたしの「当たり前」が誰かにとっては「当たり前」じゃないことだってたくさんありそうだ。

もちろん、ふと思い出したことがあれば、あの頃のクソみたいな生活について書いてもいいんだし。

なんでもアリの人生だから、特に制限は設けなくてもいい。

そういえば、今と昔で変わったことがもうひとつあります。

それは「ただぬぼーっと生きてるだけで幸せ」だと感じていること。

日本のお米は高くて買えないし炊飯器も持っていないけど、「SHINODE」という謎のお米をお鍋でうまく炊けたときは、お米を噛みしめて食べるくらい幸せ。

おしゃれなレストランで映えそうなランチなんて高くて滅多にしないけど、手作りサンドイッチ片手に日差しを浴びながらてくてく外を歩くだけで幸せ。

高価な化粧品も買わないけど、パパッと保湿だけしてゆっくりぐっすり眠れれば幸せ。さらに朝起きて、天気が良ければなお幸せだ。

どれもあの頃では考えられなかった幸せの感じかた。

だから、もしかしたらぼーっと暮らしすぎて、文章にしたためるなんてしないまま時間が経過する可能性もあるかもしれない。

まぁそのときはそのときか。

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