パートナーとの人間関係に悩んでいるとき、なかなか自分一人では冷静に考えられないことってありますよね。わたし自身、パートナーと別れるかどうか悩んでいるときは、とても冷静に物事を考えられる状況ではありませんでした。
そんなとき、わたしを支えてくれた一つに家族の存在があります。
これまで家族からは多くの素晴らしい言葉をもらってきました。その言葉たちにどれほど救われたか…現在は元気に暮らしているわたしがそれらを発信することによって、同じように悩んでいる誰かの気持ちが少しでも楽になればいいな。
そんな願いから、これから【食べ生き名言集】として少しずつみなさんへお届けしていこうと思います。
わたしの実家は昔から割とオープンな関係でした。ふと誰かが話し始めたことで盛り上がり、ときには楽しすぎて時間を忘れ、数時間話し続けているなんてこともザラです。その関係性は、「家族」というよりも「仲間・同志」といった方がイメージに合っているかもしれません。
名言といってもごくごく普通の庶民的な一家から生まれたものなので、「なるほど〜こういう考えもあるのか」程度にゆるく読んでいただけると嬉しいです。
ということで、さっそく記念すべき第一弾をお話しましょう。
- 目先のことだけ対処し続けると、なぜいつかボロボロになってしまうのか
- 「白線」ではなく「目的地」を見て走るとはどういうことか——父のたとえ話から学んだ視点の切り替え方
- 多少ブレても「自分らしく幸せであること」を目的地にすると、何が変わるのか
【人生を楽にする】今回の食べ生き名言
目の前のことにばかりこだわって遠くを見ない。そうすると、いつか事故ってしまうよ。
次から次へと起きる問題を、一つずつ全力で対処していたあの頃
今思い返すと、あの頃のわたしは自分のことながら本当によく頑張っていたと思います。ただその頑張り方が、自分で自分をどんどん消耗させていました。
モラハラの渦中にいると、毎日何かが起きます。
朝起きたら機嫌が悪い。理由を聞いても答えてくれない。
夕食の味付けに文句を言われる。帰りが遅いと責められる。
友達に会うことを制限される。
それを全部、真剣に受け止めていました。
「今日のこれは、こうすれば防げたかな」
「次は気をつけよう」
「わたしが気をつければもっとうまくやれるはず」
ひとつ対処したと思ったら、また次の問題が来る。また考える。また対処する。それの繰り返し。
いつの間にか、考えることが止められなくなっていました。ご飯を食べていても、お風呂に入っていても、頭のどこかでずっと「どうすればよかったか」を考えている。
消耗するのは当然です。だって、終わりがないんですから。
当時のわたしは、パートナーの暴言暴挙に対して一つずつそれはそれは丁寧に考察していました。
「〇〇と言われた。なんでそんなことを言うんだろう?」「もう言われたくない。それならどうすればいいか対処法を考えよう」「もうあんなひどいことはしてほしくない。接し方を変えれば治るかな?」
次から次へと起こるハプニング・事件に、すべて真っ向から対応していたという感じです。とにかく、まずはそのとき起きたことをなんとかしようと必死でした。
一生懸命といえば聞こえはいいですが、客観的に物事を見ることができていなかったのだと思います。
そんなとき、いつものように家族と会話をしている中で、父が言ったのが今回の言葉です。
父の「自転車の白線」のたとえが、わたしの中にストンと落ちた
父はこう続けました。
「お前は今、自転車に乗って白線の上を走っているとしよう。その時どこを見てる?遠くを見るだろう?白線からはみ出さないように下を見て走ると、すぐに転んでしまう。多少ブレて白線からはみ出たとしても、目的地にたどり着けばいいんだよ」
「さて、お前の目的地はどこだ?」
この言葉は、わたしの中にストンと落ちました。
父の言うとおり、あの頃のわたしは目の前の白線ばかり見て走っていました。「白線からはみ出さないようにしなきゃ=なんとかして相手とうまくやらなきゃ」と。
足元の白線を見て走り続けると、すぐにグラグラと揺れ始めてコケてしまう。立ち上がっては転んでまた立ち上がる、という負のループに陥っていたのです。そりゃボロボロにもなりますよね。
この白線、人によってその長さは様々だと思います。
わたしの場合、「白線=わたしの人生」ではないかと解釈しました。つまり、目的地は「わたしがわたしらしく幸せであること」。そのためにどうすれば良いかを考えて走っていけば、多少白線からはみ出ようが気にしない!と思えるようになりました。
父の話を聞いてから、わたしはしばらく「自分の目的地ってなんだろう」と考えました。
正直、すぐには答えが出なかったです。
当時のわたしは、「目的地」という概念そのものを忘れていたかもしれません。毎日の白線を踏み外さないことに必死すぎて、「そもそもどこに向かっているか」を考える余裕がなかった。
少しずつ考えていくうちに、出てきた答えがこれでした。
「わたしが、わたしらしく、穏やかに笑って生きていること」
それだけです。すごくシンプルですよね。でも当時のわたしにとっては、それがものすごく遠いところにある気がしました。
目的地が見えてから、少しだけ変わったことがあります。
それは、パートナーの言動一つひとつに対して、身構えることが多少なりとも減ったこと。
関係ない小言は、ある程度流せるようになり、白線から少しはみ出ても、「まあいいか」と思えることが増えてきました。
全部が全部うまくいったわけではないし、まだまだ転ぶことはたくさんありました。
でも、「どこを目指しているか」を遠くでもいいからぼんやりでも見えていると、目先の小さなことに一喜一憂することは少なくなった気がしました。
方向さえわかっていれば、目の前のことは小さなことに過ぎないということがわかったからかもしれません。
あなたの「目的地」は、どこですか?
「彼とケンカをした。なんで彼はあんなことを言ったんだろう?わたしがこうすればよかったのかな」
「夫からこんなひどいことをされた。次同じことをされないようにはどうしたらいいだろう」
このような悩みがあるのは悪いことではないと思います。ただ、あなたがいつも同じようなことばかり考えて悩んでしまっている場合、少し目の前のことにこだわりすぎているのかもしれません。
また、はみ出ないように!ブレないように!と気を遣って走っていても、その足元はグラグラと安定せず、そのうち事故ってしまうかも。そして、ときにそれが大きな事故になることもあるでしょう。
多少白線からはみ出ようが、ブレブレだろうがいいんです。あなたが思う目的地にたどり着けばそれでよし!
少し目線を上げて、前を見つめてみてください。大丈夫、あなたはちゃんと前を向いて歩いていけます。
今あなたが必死に対処しようとしている目の前のその問題、それは、あなたの「目的地」に関係していますか?
もし関係ないなら、もう少しだけ遠くを見つめてもいいかもしれません。
「そんな簡単にできない」と思う気持ちは、すごくよくわかります。わたしも最初はそうでした。目の前のことを放っておくことへの罪悪感、また何かが起きるんじゃないかという不安。
でも、目の前の白線ばかり見て走り続けていたわたしが少しだけ顔を上げたとき、ほんのちょっとですが、景色が変わった気がしました。もしかしたらそれは、景色ではなくわたし自身の何かが変わったのかもしれません。
あなたの目的地は、あなたにしか決められない。
「こうあるべき」じゃなくて、あなたが「こうでありたい」と思う場所でいい。遠くても、ぼんやりでも、それで十分です。
その目的地に向かって、今よりもう少し先を見つめて進んでみるのはどうでしょうか。
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