また、書き始めることにしました。
少し長い間、この場所を離れていました。
やめていたわけじゃなく、嫌になったわけでもない。
ただ、あの苦しかった時代から抜け出し、日々穏やかに過ごすことができていたという、素朴で平穏な理由です。
それでもまた戻ってこようと思ったのは、わたし自身が昔の自分に助けられる機会があったから。
そして、「この言葉に救われました」「また再開されることを願っています」と言葉をかけてくださった人たちの顔が浮かんできたからです。
久しぶりにここを開いてくれたあなた、そして、もちろんはじめましてのあなたにも、まず最初に伝えたいことがあります。
このサイトはどうして出来上がったのか。わたしはなぜ、こうして言葉を綴っているのか。
始まりはひとつの言葉でした。
もしかしたらごくありふれた言葉かもしれません。でも、わたしには重くずっしりと響いた、母の言葉です。
このブログのタイトルになっている言葉
「食べることは生きること」
これは、わたしがどん底にいるときに母から言われた言葉です。
今ではすっかり元気に幸せを感じながら生活することができていますが、当時のわたしに、なぜ母の言葉が重く響いたのか。
そしてそこから、このサイトはどのようにして誕生したのか。
元気になった今だからこそ、お話していきたいと思います。
・モラハラやDVを受け続けると、食欲すら失われていくことがあるということ
・このサイト「食べ生き」が生まれた意味
・どん底にいたわたしが「また生きよう」と思えた、小さくて大事なきっかけ
わたしの母はこんな人
日本のごくごく一般的な家庭に生まれたわたし。
お金持ちでセレブな一族でもなければ、有名な家系でもありません。父も母も純日本人のいわゆる庶民です。母も高齢と言われる年齢に差し掛かっている昨今ですが、まだまだバリバリと働いている、海千山千越えてきたファンキーな女性です。
昔から自慢の母だった
子供のわたしから見ても、母は素敵な人だなと感じていました。
長身のモデル体型ということではないのですが、年齢を重ねてもスタイルを維持し、身なりにもとても気を遣っています。おそらく、これまで実年齢より上に見られたことは無いでしょう。
物心ついたときから、母はわたしの憧れでした。
小学生の頃、授業参観や運動会などで母が学校に来るときはいつも数日前からワクワクしていました。母が学校に来ると、友達みんなから「Chiruちゃんのお母さんきれい!」「Chiruちゃんのお母さんってかっこいいね〜!」と言ってもらえるので、子どもながらにいつも鼻高々だった記憶があります。
フランクな母は、わたしの友達でも自分の友達かのように接します。これは昔から変わらず、今でも同じ。まったく違和感がなく、スッと会話に馴染んできます。わたし、わたしの友達、そして母とで、食事をしたりおしゃべりしたりすることも普通でした。
それは、わたしが中学、高校、大学生、大人になった今でも変わっていません。わたしの友達が、わざわざ母に会いに実家に来たりもします。
現在母は、仕事柄DVや離婚について悩んでいる人たちと関わることも多く、専門的な知識と経験を有し、日々奮闘しています。
言うなれば、DVや離婚のスペシャリストです。
どん底に落ちたそのときにわたしを救ってくれた人
元パートナーからの度重なる暴言が続いていた頃、わたしはどんどん消耗していました。
最初のうちは、まだ「これって何かが変だな」「違和感があるな」と感じていました。少しでも違和感を感じていたうちは、まだ心に余裕があったんだと思います。
だんだんとその違和感が日常の中に溶け込み、一日、一ヶ月、一年と続くと、感覚がおかしくなってくる。
「また怒らせてしまった」「言い方が悪かったのかな」「わたしがもっとうまくやれば」——
そういう自責思考が当たり前になり、「これっておかしくない?」という問いかけが、いつのまにか頭の中から消えていきます。
消耗というのは、わかりやすくどっと疲れるというよりも、気がづいたら好きだったものに興味が持てなくなっている。
笑えなくなっている。眠れなくなっている。
そして、食べられなくなっている。
じわじわと、気がつかないうちに侵食されていく。
わたしの救いは、すぐ近くに実家があったこと。
体力・気力ともに、残りがゼロに近づくたびに、実家へ駆け込んでは回復を図れたことです。
その分野のプロである母に話を聞いてもらえたことの大きさ
当時わたしが住んでいた町は、実家と同じ県内で、車で30分ほど。結婚してからモラハラ・DVを受けて悩むたびに実家へと足を運んでいました。
母は仕事柄、専門的な知識を交えてアドバイスをしてくれる。当時はそこに助けを求めるしかなく、すがる思いで実家へと向かっていました。
頻繁に実家に帰っては悩みを吐露する娘。ときには長時間におよぶ話を、根気よくじっくり聞いて、気持ちを軽くしてくれてました。
わたしの場合、一番身近な存在である母親が、モラハラ・DV・離婚のプロであること、そして良き理解者であることは、本当に大きな救いでした。
いよいよ末期…ご飯が食べられなくなった
実家に帰って母に話を聞いてもらう。いつもだとそこでちょっとだけ回復して、また自分の生活に戻り、ふたたびダメージを受けては実家に戻る、これの繰り返しでした。
そして、とうとう食事が喉を通らなくなってしまったのです。
ご飯を食べることが大好きなわたしが、どう頑張っても食べる気が起きない。ご飯を目の前にして箸を持っても、口に運べない。わたしの食事量はどんどん減っていきました。
そんな娘を気遣い、母は家族でよく行くとんかつ屋さんにわたしを連れ出してくれました。
それなのに、大好物のとんかつを眼の前にしても、ほんの少し手をつけただけですぐに箸を置いてしまう。
「ごちそうさま・・・」
そんなとき、母はこう言いました。
その当時は考える力も弱くなっていたので、母の言葉を頭で理解することはできませんでした。ただ、心で理解したのでしょう。「無理にでも食べよう」と思うことができました。
ご飯が食べられなくなったとき、わたしははじめて「あぁ、わたしは限界なんだ」と気がつきました。自分でそう思ったというよりは、体から教えてくれた感じと言いますか。それまで、いったいどれだけ自分の感覚を麻痺させていたんだろう、と今は思います。
あのあと、また箸を持ってゆっくりと口に入れたとんかつの味は、今でも忘れません。
すっかり冷めていたけどね。
食べることは生きること
すっかり冷めたとんかつを口に入れると、なぜだか涙が出てきたことを覚えています。
こんな自分になってしまったことが悔しかったのか、母の言葉が嬉しかったのか、涙のわけはよくわかりません。そして、そのあともすぐに元気になったわけではないのです。
相変わらず自分の生活に戻れば心も体もダメージを受けて、また実家に逃げ込む。その繰り返しはしばらく続きました。
でも「食べることは生きること」という言葉は、あれからずっとわたしの中にありました。
ご飯が食べられないほどしんどくなったとき、「無理にでも食べなさい」と言った母の言葉。で、なんとか食べた。食べたら、少しだけ元気が出た。
もしかしたらそれは、多くの人にとっては当たり前にできていることかもしれません。でも、当時のわたしにはそれができなかった。
今、もしあなたがご飯を食べられないくらい苦しい毎日を過ごしているなら。眠れない夜が続いているなら。「しんどい」という言葉さえ出てこないくらい疲れ果てているなら。
どうか、無理矢理にでも何か口に入れてみてください。
食べることは、生きることです。
あのときに救ってくれたその言葉を、今度はわたしからあなたに渡したくて、ここでたくさんのことを書き記しています。
わたしの話を聞いたところで、あなたの現実は変わらないかもしれない。でも、ほんの少しでも元気が出れば、明日を迎える少しの希望になれば、それだけで十分です。
さいごに
わたしは母から色々なことを学びました。
モラハラ・DVへの対処方法、自分の人生を生きる術、決断する大切さ。今でも進行形で様々なことを学んでいます。これを自分の中だけで留めておくことはもったいない。
わたしからそれらを発信することによって、今もどこかで悩んでいる人が、今よりほんの少しでも元気になってもらえれば嬉しいです。
母からもらった言葉などを、わたしなりの言葉にして、ここに記していきたいと思っています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
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