「STAYHOME」
私自身、自分の人生の中でこんなにも長い時間家にいることを必要とされる時が来るとは思いもしませんでした。「家にいましょう」SNS上でも#STAYHOMEが合言葉になっている現在、家にいることは世界情勢から見ても必須のことでしょう。
ごく一般的に暮らしている人たちであれば、「家にいましょう」と言われれば「家に居ること」ができます。もちろんなかなか外に出られず、長時間家の中で過ごすことを必要とされた場合は誰でもストレスは感じるでしょう。繰り返される毎日に嫌気がさしたとしても、普通にご飯を食べたり本を読んだり、お風呂に入って布団に入って眠ることはできます。
そこでは、当たり前のように穏やかな朝を迎えることができます。
危険がない場所
家というのは本来、外敵から身を守るため、安心して食事をするため、雨風を防ぐため、家族が危険を回避して暮らせるために作られたものです。利便性を求めるためにその様式は変わってきましたが、家の持つ意味というのは、遥か昔からそんなに大きく変わっていないのではと思います。
家族が最も安心して暮らせる場所。それが私にとっての「家」です。
働いている時は、誰しもたくさんのストレスに身をさらしています。取引先とのやり取り、上司や同僚とのコミュニケーション、数字や期限に追われる仕事。時には大なり小なり攻撃を受けるようなこともあると思います。今だと止むを得ず通勤するだけでもコロナウィルスの脅威にさらされているので、それだけでも大きなストレスですよね。
ただ、家に帰れば数々の「敵」から逃れ、ホッと一息つくことができます。
多くの人たちは、当たり前のように自分の家で危険を感じることなく暮らしているでしょう。私もそうです。家というものは絶対的な安全地帯であり、そこは守られるべき空間であると思っています。
同じ屋根の下に敵がいたら
想像してみてください。もし、安心して暮らせるはずの家に「敵」がいたとしたら、あなたはどうしますか?
- 食事の際、作った料理に対して文句ばかり言われる
- 何をしていても、誰かと比較をされたりバカにされたりする
- 話しかけても無視をされる
- 自分の思うようにいかないと暴言、暴力を振るわれる
本来、外敵から身を守るための家でこのようなことが起きているとしたら、あなたは安心して暮らせますか?これらは決して単発で起きることではなく、日常的に繰り返されることだとしたら?
悲しいことに、このような状況で#STAY HOME「家にいる」ことを余儀なくされている人たちがたくさんいます。彼らにとって、安心して暮らせるはずの家はまるで戦場でしょう。心休まるどころか、毎日自分の身を守るために闘うもしくは耐える必要があるのです。
私の経験
出先から家に帰る時、皆さんは当たり前のようにドアを開けて家に入りますよね?その時、特に何も思わないはずです。「家に到着したから家のドアを開けて中に入る」ただそれだけのこと。しかし、家が近くにつれ鼓動は速くなり、ドアの前に着いた頃には心臓が飛び出すのではないかと思うほど心拍数が上がっている。そして、なかなかドアを開けることができない。
意を決してドアを開け家に入ったとして、そこに「安心」はない。
何をしても文句を言われるため、いつも相手の顔色をうかがってしまう。常に誰かと比較されるため、何をするにも相手が良しとする行動を取ってしまう。それもこれも、家の中で自分の身を守るために。
世の中には、このように家が安心して暮らせる場所ではないという人もいるのです。そして、これは妄想でもなんでもなく、私が実際に経験したことです。
当たり前の安心は当たり前じゃない
家の扉を開けたら「おかえり」と言ってくれる人がいること。「美味しいね」とご飯を食べられること。ゆっくりお風呂に入れること。何も言われず自分の時間を過ごせること。そして、安心して眠れること。
当たり前にできていることが、実は当たり前ではないのです。#STAY HOMEが叫ばれる中、安心して家に居られるだけでも幸せなこと。安全地帯だと思える家があるということがどれだけ素晴らしいことか、改めて考えさせられる日々です。
あなたの「家」が、安心して暮らせる場所でありますように。
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