モラハラ・DV

家に帰るのが怖かった——モラハラで「家」が安全地帯でなくなる日のこと

「今日も帰りたくない」

そう思いながら、電車に乗ったことはありますか。

会社を出て、最寄り駅で降りて、家に向かって歩く。その足取りがどんどん重くなっていく。玄関のドアの前に立っても、すぐには開けられない。鍵を持った手が、止まったまま動かない。

わたしには、そんな経験があります。

家というのは本来、外の世界から身を守る場所のはずです。疲れを癒して、安心して眠れる場所のはず。でもその「安心できるはずの場所」が自分にとって一番怖い場所になっていたとしたら。

今回は、そのことについて記していきたいと思います。

  • 家が本来持つべき意味——「安全な場所」であるはずの家が、モラハラ・DVによって戦場に変わること
  • 玄関のドアを開けるのが怖かった、という体験談から見えてくるモラハラ・DVの日常
  • 「当たり前に安心できる家がある」ということが、実はどれほど特別なことなのか

家は本来、一番安全な場所のはずだった

家というのは本来、外敵から身を守るため、安心して食事をするため、雨風を防ぐため、家族が危険を回避して暮らせるために作られたものです。

利便性を求めるためにその様式は変わってきましたが、家の持つ意味というのは、遥か昔からそんなに大きく変わっていないのではと思います。

家族が最も安心して暮らせる場所。それがわたしにとっての「家」です。

働いているときは、誰しもたくさんのストレスに身をさらしています。取引先とのやり取り、上司や同僚とのコミュニケーション、数字や期限に追われる仕事。ときには大なり小なり攻撃を受けるようなこともあると思います。満員電車で通勤するだけでも大きなストレスですよね。

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ただ家に帰れば、数々の「敵」から逃れ、ホッと一息つくことができます。

多くの人たちは、当たり前のように自分の家で危険を感じることなく暮らしているでしょう。わたしもそうです。家というものは絶対的な安全地帯であり、そこは守られるべき空間であると思っています。

同じ屋根の下に敵がいたら

想像してみてください。もし、安心して暮らせるはずの家に「敵」がいたとしたら、あなたはどうしますか?

  • 食事の際、作った料理に対して文句ばかり言われる
  • 何をしていても、誰かと比較をされたりバカにされたりする
  • 話しかけても無視をされる
  • 自分の思うようにいかないと暴言、暴力を振るわれる

本来、外敵から身を守るための家でこのようなことが起きているとしたら、あなたは安心して暮らせますか?これらは決して単発で起きることではなく、日常的に繰り返されることだとしたら?

悲しいことに、このような状況で家にいることを余儀なくされている人たちがたくさんいます。彼らにとって、安心して暮らせるはずの家はまるで戦場でしょう。心休まるどころか、毎日自分の身を守るために闘うもしくは耐える必要があるのです。

家に近づくほど、心臓の音がうるさくなっていた

出先から家に帰るとき、皆さんは当たり前のようにドアを開けて家に入りますよね?そのとき、特に何も思わないはずです。「家に到着したから家のドアを開けて中に入る」ただそれだけのこと。

しかし、家が近くにつれ鼓動は速くなり、ドアの前に着いた頃には心臓が飛び出すのではないかと思うほど心拍数が上がっている。そして、なかなかドアを開けることができない。

意を決してドアを開け家に入ったとして、そこに「安心」はない。わたしの当時は、家の中での行動すべてに、緊張が伴っていました。

料理をするとき——何かに文句をつけられないか。
掃除をするとき——どこかが足りないと言われないか。
テレビを見ているとき——急に怒鳴られないか。

家の中にいる間中、アンテナを張り続けているような状態です。

ご飯を食べながらも、会話の端々から相手の機嫌を読んでいる。お風呂に入っていても、出た後のことを考えて落ち着けない、今この瞬間に自分の私物を漁られていないか心配になる。夜、布団に入っても、なかなか眠れない。

家の中なのに、ゆっくり休めない。

家が辛いと感じていた時期、わたしには話を聞いてくれる家族がいました。実家に帰れば、少し息ができ、安心して眠れることもできました。家族に話を聞いてもらうと、心が少し軽くなり、「また頑張れる」という気持ちで自分の家に戻っていたりしました。

でも、自分の家に戻ればまたダメージを受ける。そしてまた実家に帰る。また戻る・・・

何度も何度もそれを繰り返しました。

話を聞いてもらえる場所があるということは、当時のわたしにとっては本当に救いで、それは今でも痛感します。

ただどんなに話を聞いてもらっても、「自分の家に帰る怖さ」は消えませんでした。

回復しては傷つき、また回復しては傷つくといった消耗のサイクルの中にいると、「いつまでこれが続くんだろう」という感覚がじわじわと積み重なっていくのを感じていました。

「家にいるのが一番しんどい」という感覚は、あまり共感や理解してもらえない悩みかもしれません。わたしも当時は職場の人や友人などには、その状況を細部まで話すことはありませんでした。外でどんなに嫌なことがあっても、「家に帰れば大丈夫」と思える人たちのことがうらやましかった記憶さえあります。

何をしても文句を言われるため、いつも相手の顔色をうかがってしまう。常に誰かと比較されるため、何をするにも相手が良しとする行動を取ってしまう。それもこれも、家の中で自分の身を守るために。

世の中には、このように家が安心して暮らせる場所ではないという人もいるのです。そして、これは妄想でもなんでもなく、わたしが実際に経験したことです。

当たり前の安心は当たり前じゃない

家の扉を開けたら「おかえり」と言ってくれる人がいること。「おいしいね」とご飯を食べられること。ゆっくりお風呂に入れること。何も言われず自分の時間を過ごせること。そして、安心して眠れること。

当たり前にできていることが、実は当たり前ではないのです。安心して家に居られるだけでも幸せなことで、安全地帯だと思える家があるということがどれだけ素晴らしいことか、改めて考えさせられる日々です。

今のわたしには、帰りたい家があります。

ドアを開けると「おかえり」という声があって、ご飯を作ると「おいしい」と言ってもらえ、夜は安心して眠ることができる。あの頃のわたしが当たり前のようにできなかったことが、今は当たり前になっています。

その変化に気がつくたび、当時の自分も抱きしめたい気持ちになります。当たり前の安心というのは、モラハラやDVの渦中にいると、それが手の届かないとても貴重なものであることを痛感します。

もし今、あなたが家に帰るのが怖い状況にいるのなら。ドアの前で足が止まってしまうことがあるのなら。

それはあなたがおかしいんじゃない。その「怖さ」は、正しい感覚です。

家が戦場になっているなら、逃げ場を探す権利があなたにはあります。ひとりで抱えないでほしいと思います。

あなたの「家」が、安心して暮らせる場所でありますように。

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