モラハラ・DV

【モラハラ・DV?】話が通じない・話し合いができない人【解決策は?】

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家族、友だち、同僚など、今までなんの問題もなく話ができていると思っていた自分。

自分の言っていることが相手に伝わる。

相手の言っていることが理解できる。

ある一定の年齢を超えると、無理なく言葉でのコミュニケーションが取れる人が大半でしょう。

気になることがあれば質問し、問題があれば解決に向けて話し合う。言葉でのコミュニケーションを円滑に進められる人にとって、これは当たり前のことかもしれません。

そのため、言葉のキャッチボールにそこまで困った経験がない場合、これまで自分が当たり前にしてきた意思伝達手段である「話し合う」という行為が通用しないとき、それは大きなストレスとなります。

「同じ言語を話す人なのに、こんなにも話が通じない人がいるんだ。。」

「どうして話し合いができないんだろう」

そして話が通じない、話し合いができない相手が彼氏や夫というパートナーだったり、親や兄弟である場合、それは思った以上に大きな問題かもしれません。

わたし自身、これまで話が通じない、話ができない人と密に関わることで感じた経験を踏まえ、どのように対応し、またそれがどのような効果をもたらしたかについて話していきたいと思います。

話が通じない。話し合いができない。

先に結論を伝えてしまうなら、

話が通じない人、話し合いができない人は異星人だと思う

ことです。

彼らによってかなりの精神的苦痛を強いられる場合、物理的に離れるのが最良の手段です。

わたしがどうしてこのような答えに行き着いたか。。

彼らとのコミュニケーションは思っている以上にキツいことなのです。

話が通じない人とは?【困るポイント】

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まず、話が通じない話し合いができないは、個人的に少々印象が異なるように感じます。

多くの場合、話が通じない人は=話し合いができない人でもあるのですが、ここでは少し分けて考えてみたいと思います。

「おはよう!朝ごはんは食べましたか?」

この問いに「今日は晴れです。」と答える人がいるとしたら、たいていの人はあれれ?聞いている答えが返ってきてないぞ?と思うはずです。

ここで「え?何もおかしいことはないと思うけど」という人は、残念ながら話が通じない側の人かもしれません。(そちら側の人はこの記事には辿り着かないと思いますが。。)

話が通じない人というのはほぼこのような状態で、相手の問いかけ内容や質問の意味を把握できておらず、自分の言いたいことを言うだけという感じです。

仕事においても同様のことが見られます。

たとえばこちらがある書類の書き方について正解を知りたいとしましょう。

選択肢のうちAかBかを悩んでいるとき、相手に「ここはAと書きますか?それともBと書きますか?」という二択で聞いたとしても、話が通じない人は「Cの場合はこう書きます」といった答えを繰り出したりします。

「あれれ?」と違和感を感じるも、これまでの人生で他者とおおむね円滑なコミュニケーションを取れてきた人であれば、おそらくもう一度トライするはずです。

聞きたいのはAかBかなので、めげずに続いて「Aと書くのは正解ですか?」と聞いたとします。まずは相手にAが正解なのか不正解なのかを聞き、Aという選択肢がありなのか無しなのかを切り分けたいと考えるからです。

しかし、これでも「Dという書き方については〇〇です」と答えたりする。

話が通じない人と話をしても、こんなふうにほしい情報は手に入らず的確な答えは返ってこないのです。

話が通じないレベルが上がると、「この前こう言ってましたよね?」ということに対して「言ってない」と答えたり、「この前はそんなこと言ってなかったじゃん」という場合も「そんなことはない。確実に言った!」となったりで、なぜか相手の記憶が改ざんされていることも多々あります。

相手が職場の先輩であれば業務がうまく進みませんし、彼氏や夫などのパートナーであればうまく関係性を構築できません。

ただ、話が通じない人でも職場ではスキルだけはあったり、パートナーであれば外面は良かったりすると、これまた厄介。

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話し合いができない人とは?【怒りと沈黙】

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続いて話し合いができない人の場合、もう少し違った現象が発生します。

たとえば何か問題を解決したいとき、相手に次のように問いかけたとしましょう。

「あなたは〇〇がいいの?それとも□□がいいの?」

この問いかけに対して:

  1. 「なんでそんなこと聞くんだ!めんどくさい!」
  2. 「・・・・・(無言)」

このどちらかのタイプだと、思うような話し合いができない人である可能性が高いです。

①の場合、そもそも話し合いの場につくのさえ嫌がることが多いです。

「今話さなくちゃいけないの?」「そんなこと聞いて何になるの?」と、話し合うことに対して逃げの姿勢を見せ、場合によっては声を荒げたり無理矢理その場を立ち去ろうとしたりします。

怒鳴ったり物に当たったりするような人であれば、このタイミングで色々と考えた方が良さそうです。

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②の場合、おそらく話し合いの場にはつくでしょう。しかし、そこから長い長い沈黙との戦いが始まります。

「ゆっくりでいいから、あなたの考えを教えてほしい」と声をかけても、黙ったまま言葉を発さない。相手を尊重してじっと待つものの、いつまで経っても何も返ってこない。

もちろん考えることにかなりの時間を要す人もいるため、時間をかければ何かしらの答えが返ってくるのであれば、①よりかはマシな気もします。

しかし、これが無視という行動によるもので永遠に答えが返ってこない場合は。。

個人的な経験から、おおよそ話し合いができない人というのはこの2つのパターンが多いのではないかなと感じます。

どちらのパターンでも円滑なコミュニケーションが取れないため、こちら側としては積み重なると大きなストレスとなってしまいます。

解決策はあるのか?【経験談を交えて】

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話が通じない人や話し合いができない人とコミュニケーションを取るのは、かなりの労力が必要です。

円滑に話が進む相手とのコミュニケーションコストを考えると、その何倍も何十倍ものエネルギーを消費します。これは自分が思っている以上のダメージとなるのです。

そんな相手が身近にいて、日々何かしらのやり取りをしないといけない場合、わたしは次のような方法をトライしてみました。

まず話が通じない人に対しては答えづらいオープンクエスチョンは避け、なるべくYESかNO、二択で答えられる質問をするように心がけました。

オープンクエスチョンは、「はい」または「いいえ」の応答では回答できない質問である開かれた質問と呼ぶこともある

オープンクエスチョンは、長い応答を必要とする文として表現され、それに対する回答は、質問者がすでに知っている情報と比較できる。

引用元:wikipedia

「これは必要ですか?」「AかBかどちらですか?」

「必要であれば、これを進めて問題ないですか?」

「Aであれば、こうしますね」

話が通じないレベルが低い人であれば、この二択方式を繰り返していけば、ほしい情報に辿り着くことができます。

しかし、まったくといって話が通じない人に対してはこの手も通用しません。

結果、わたしは諦めました。そう、話しかけることを放棄したのです。

相手が職場の人であれば、なるべく第三者がいるときに話をし、極力自分で調べて進めるか他の人に指示を仰ぎ、報告や共有は最低限とする。

相手がパートナーであれば、相手からの問いかけに答えはするものの、自分から話しかけることはなくなっていく。

なんとも冷たい関係性になりました。

話し合いができない人に対しても同様に、職場であれば第三者を交えて会議をしたり、パートナーであれば紙に書いたりLINEなどのメッセージで質問をし、回答を得るようにしました。

これまたコミュニケーションを取る頻度が減るため、関係性が良くなることはありません。

その場の対応策はあるかもしれませんが、わたしの中での解決策はやはり

彼らとは物理的な距離を取る・離れる

こと。

これが一番効果的=精神的なダメージ、ストレスが減る方法でした。

ちなみに話が通じない人・話し合いのできない人が一概にモラハラ・DV加害者であるとはいえません。ハラスメントをするような人ではないけれど、何を言っても話が通じない、話し合いができない人もいます。

そのような人は、ただただ「話が通じないタイプ」「話し合いのできない性格」といっただけ。個性の問題です。

しかし、モラハラ・DVをするような人は、だいたい話が通じない・話し合いができない人が多いような気がします。

話し合いができることの安心感

話が通じることの安心感、話し合いができることの満足感を感じたことはありますか?

話が通じない相手と仕事をしたり、話し合いができないパートナーと長い時間を過ごしたりすると、なんの努力もせずにそのままの自分で言いたいことを伝え、相手がしっかりと理解してくれること、相手とスムーズな話し合いができることは、驚くほどの安心感と満足感を感じます。

ポンポンと弾むような会話、心地よいスピードで進む話し合い。

これらは当たり前に得られることではありません。

人と人、合う合わないがあるのは仕方のないことですが、日々の暮らしの中で苦痛に感じるほどのコミュニケーションの取りづらさで自分が苦しむくらいなら、いっそ物理的な距離を置くことも選択肢のひとつだと思います。

わたしも実際に話が通じない人と絶対に関わらないといけない会社は辞めたり、どう頑張っても話し合いができない、理解し合えないパートナーと別れたりしながら、自分の心地よい環境を探してきました。

「話す」という人間社会だと当たり前のコミュニケーション方法ひとつとっても、無理なく心地よい関係を築ける人はお互いに大切にしたいものです。

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