パートナーのモラハラやDVに悩んでいる女性であれば、誰もが一度はこんなことを考えたはずです。
「子どもができたら何か変わるかもしれない」
現状の生活から大きな変化があれば、少しは相手も変わるかもしれない。
子はカスガイというし、子どもがいたらもう少し穏やかに暮らせるんじゃないか。
パートナーからのモラハラやDVに悩んでいる人の中で、現在子どもがいる人もいない人もそのほとんどが、恐らく同じ結論にたどり着いているはず。
子どもができてもモラハラ夫、DV夫は変わらない
ということに。
私の場合、最終的にモラハラパートナーとの間に子どもはできませんでした。
その選択は、自身の中で大きな人生の分かれ道だったと思います。
今回のお話は、あくまでも私個人が経験して思ったこと、感じたことをお伝えしています。
- 子どもがいたからこそ別れなかった人
- 子どものおかげで夫婦の仲が良くなった人
もちろんそんな人たちもいるでしょう。
彼らを否定するような気持ちはまったくありません。
ただ私自身の体験として、「モラハラ夫にサヨナラするまで」の1ページを記しています。
子どもがいてもいなくても、モラハラやDVに悩んでいる人がツライ気持ちになって人生を悲観していることに変わりはないのです。
今思うこと。
たくさんツライことも経験したけど、私たちの間に子どもが誕生しなかったのは幸せなことでした。
渦中にいると不幸せのどん底に感じられるかもしれない出来事も、時が経って客観的に見てみると、実はその選択が幸せへの第一歩だった、なんてことがあるんです。
前回のお話はこちら。
子どもがほしいのはなぜ?【モラハラ夫との子ども】
モラハラ夫と結婚してから、日に日に「子どもがほしい」という思いが強くなっていきました。
周囲からすると不思議なことに思われていたはずです。
「あれだけモラハラに悩んでいるのに、なんで子どもがほしいんだろう?」
「今でも大変そうなのに、子どもができたらもっと大変になる気がする…」
そのどれもが正論です。
私が友人の立場でも同じように思ったはずです。
しかし、そこには
- 年齢的に出産適齢期を逃したくない
- 女性として生まれたからには出産を経験したい
といった抑えきれない気持ちがありました。
ここでポイントなのが、モラハラ夫は24時間365日モラハラをしていくるわけではないという点です。
いわゆるハネムーン期という時期があるからこそ、淡い期待を抱いてしまいます。
- この人にも優しい部分はあるんだし、子どもができたらもっと優しくなるかもしれない
- 大人だけの生活だと私に当たってばかりだけど、子どもには優しく接してくれるにちがいない
- なんだかんだで子どもができたら可愛くて仕方がなくなるはず
こうして、日々のツライできごとから目をそらしがちになるのです。
子どもができたらきっと、自分にも子どもにも優しくなってくれるだろう。
時折見せる優しいあの人が、本当のあの人に戻るだろうと思ってしまうんです。
モラハラ夫にとって子どもよりも優先すべきは自分
子どもができたからといって、すぐに生まれるわけではありません。
身ごもった女性には多くの試練が待ち受けています。
- ひどいつわり
- ホルモンバランスが崩れることによる情緒不安定
- 仕事の調整
- お腹の子の成長のために考えることの多さ
- 変わりゆく自分の身体と向き合うこと
数日間耐えれば大丈夫!なんてやさしいものではなく、ひとりの命を生み出すという大きなことを成し遂げるための準備はやはり大変です。
そんなとき、支えてほしいのはお腹の子の親でもあるパートナーですよね。
しかし驚くべきことに、モラハラ夫にとって、身ごもった女性といえど「大切にするべき存在」にはほど遠いのです。
いつだって、彼らの優先順位トップに君臨するのは自分自身なのです。
子どもができたからといって、モラハラ夫の優先順位は変わりません。
いつだって優先すべきは自分自身で、その次に大切なのが自分の遺伝子を持って生まれてくるであろう子ども。
パートナーであるあなたの優先順位は、子どもができた瞬間から格下げです。
- モラハラ夫自身
- モラハラ夫の遺伝子を持つ子ども
- モラハラ夫の親や友人
- パートナーであるあなた
少なくとも、あなたや子どもが最優先になることはないでしょう。
モラハラは治らない【苦しさが増すばかり】
子どもができてから生まれるまでも、モラハラは変わらず発揮される日々。
ふつうに過ごしているだけでもストレスが多い状況に、プラスしておそいかかるモラハラストレス。
それが健康な状態でないことは分かりきっていますが、それでもモラハラループの中にいるうちは淡い期待を捨てることはできませんん。
「子どもが生まれたらこの人は変わるのだろうか?」
「いや、子どもが生まれたら可愛いし、きっと楽しく家族団らんの時間を過ごせるはず」
そう思い込もうとするものの、同時に現実的な不安もおそってきます。
- もしお腹の子に何かあった場合、きっとすべて私が悪いことになるだろう
- 生まれてきたお腹の子に何か良くないことが起きた場合、私のせいになるだろう
- 子育てで不安なことがあったとき、きっと助けにはなってくれないだろう
そんなネガティブな考えは、消しても消しても浮かんできます。
きっとそれは、自分が一番よくわかっているからです。
そのとおり!モラハラ夫は何かあったらあなたのせいにするし、何か起こっても助けてはくれないよ。
これまで長い時間モラハラ夫と過ごしてきた自分だからこそ、この先おこりうる未来のことは一番よくわかっているはずです。
それでも子どもがほしいという気持ちを天秤にかけて、妊娠を望む。
子どもさえいてくれたら…
子どもがいないからあの人は変わらないんだ…
たとえ相手がモラハラ夫でも、子どもがほしいと願う人の気持ちはとてもよくわかります。
でも、それは本当に自分の幸せを考えて選んだ選択肢でしょうか?
あの頃の私にも、そう投げかけてくれる人たちがいました。
彼らは心から私の幸せを願い、心配してくれていました。
それでも、子どもの有無で幸福度が変わるのではと思い込んでしまう。
あなたは本当にモラハラ夫との子どもがほしいのでしょうか?
それとも、出産適齢期を気にし、子どもがいる生活は幸せそうに見えるから自分も子どもを持つ「べき」と考えていないでしょうか?
それでもどうしてもモラハラ夫との子どもを願うのならば。
いっそのこと、子どもができたってモラハラが治るわけない、と認識している方がダメージは少ないのかもしれません。
モラハラ夫を見て育つ子ども【子は親を見て育つ】
私たちの間に子どもが誕生することはありませんでした。
当時はそれなりに悩んだし、子どもができなかったことに対してかけられる「モラハラ夫との間に子どもができなくて良かったよ」という言葉に傷ついたりもしました。(言った側は私のことを心配してくれてたこと、今ならわかります)
それでも、時が経って思うことは、この結果でよかった、ということ。
ただ、ifの世界を考えることもあります。
「もしモラハラ夫との間に子どもが生まれていたとしたら」
- きっとモラハラは治らない
- 子どものことでケンカの頻度が増えるだろう
- 子どもの前でモラハラによる言い合いは無くならないはず
- そんな親を見て育つ子どもに、良い影響があるわけがない
もしもの世界線を考えたとしても、やっぱり私の人生ではこの選択が正しかったと思うのです。
モラハラ夫との間に子どもが誕生していた世界線での私は、きっと毎日眠れぬ夜を過ごし、ストレスで肌はボロボロ、自分の幸せを考える余裕もない暮らしを送っていることでしょう。
子どもがいるから親が幸せだ、という理論は、ある意味では当たっていて、ある意味では間違っているのだと思います。
子どもがいてもいなくても、幸せな人は幸せ
これが真実なんじゃないかな、と身をもって感じています。
【モラハラに悩んでいるすべての人へ】あの頃の私へ
「子どもがいないからあの人のモラハラは治らないんだ」
「子どもがいれば、あの人も優しくなって幸せな暮らしになるはず」
「早く子どもがほしい」
モラハラに傷ついてツライ思いをしている状況から、抜け出したい気持ちは痛いほどよくわかります。
でも、そのために子どもを理由にするのはどうでしょうか?
そして、本当に子どもさえいれば、モラハラから抜け出せると思いますか??
世の中には、子どもがいなくても幸せな生活を送っている人がたくさんいます。
一方、子どもがいてもモラハラやDVに苦しんでいる人たちもたくさんいます。
あなたの幸せは、子どもの有無によって左右されるのでしょうか?
そして、イヤダイヤダと言っているモラハラ夫との子どもを授かることが、あなたの人生にとって最良の選択なのでしょうか??
幸せは自分で決めるもの。
自分自身を幸せにできる人は、子どもがいてもいなくても幸せな人なんだよ。
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